とある新聞記事より…
受験生です。9月入学を強く求めます。
高校3年生の女子生徒から、新聞社へ投書が届いたそうです。
この女子生徒は公立高校で学んでいて、4月に始業式で一日、高校に行っただけ。
それ以降の休校期間は、高校からプリントが郵送されるほか、教員が配信する授業動画で自宅学習をしているとのこと。
それでも女子生徒は、教室での授業に比べると、思うように理解が進まない!と感じていて、
10月で3年の課程を終え、その後、受験勉強に専念するプランが崩れました。
だから9月入学にしてほしい、という主張のようです。
同じように考えている高3生が、全国にどれだけいるかはわかりませんが…
ちょっと厳しい言い方をすると、
高3にもなって、認識が甘いですね。
「10月で3年の課程を終える」という計画自体、間に合うようには思えません。
休校で広がる学校格差
小学校や中学校の義務教育では、学校による格差、地域による格差は是正しなければなりませんが…
高校はそもそも、義務教育じゃないです!
入学する時点で、ある程度、選別された状態でスタートしています。
ですから、突き抜けた私立の進学校がオンラインでバシバシ授業を進めたり、感染の少ない地域の高校が一足早く授業を再開しても、何も問題ないんです。
高校からのサポートが薄かろうが手厚かろうが、休校が続いていようが再開していようが、そのことによって大学受験が不公平になる、なんてことはあり得ません。
勉強する時間はすべての高3生に、平等に与えられています。
「授業の遅れ」は確かに生じているかもしれませんが、それがそのまま「学習の遅れ」「学校格差」につながるわけではないんです。
多少、厳しい状況に置かれているからと言って、安易に9月入学を求める姿勢…
またそれを、高校生の総意かのように報道する新聞社にも、大いに問題ありです。
履修主義の問題点
ただ、ここでは女子生徒の主張にも、冷静に耳を傾ける必要がありそうです。
なぜ「学校が休校だと困るのか?不安になるのか?」
それは、多くの生徒にとって、「学校の授業」が勉強の中心、軸になっているせいです。
教室で、生の授業を受けることで、勉強した実感が得られる。
仮に理解していなかったとしても、「授業を履修すれば、やったことになる」という仕組みが出来上がっているからです。
履修主義とは…
児童生徒は、所定の教育課程をその能力に応じて、一定年限の間、履修すればよいのであって、特に最終の合格を決める試験もなく、所定の目標を満足させるだけの成果を上げることは求められていない。
とする考え方です。
小学校・中学校では、古くからこの「履修主義」が採られています。
成果を上げることは求められていない、つまり…
「授業に出席さえしていれば、別にわかってなくてもいいよ!」という意味です。
そのため、中学校課程の半分も理解してない生徒が、じゃんじゃん高校生になってしまいます。
小学校・中学校段階で、この「履修主義」にドップリはまってしまうがために、多くの高校生は「履修主義」の考え方から抜けきれません。
その結果、授業に出席すれば安心、授業がないと不安。
「学校の授業」に依存する生徒が大量発生するわけです。
本来は高校生になったら、いやもっと早い段階から「履修主義」ではなく「修得主義」に頭を切り替えるべきです。
修得主義とは…
児童生徒は、所定の教育課程を履修して、目標に関し、一定の成果を上げて単位を修得することが必要。
とする考え方です。
修得主義では何らかの試験に合格することが求められますので、授業に出席したかどうかは、それほど問題にはなりません。
できるか?できないか?が重要で、試験で合格点が取れればOK!となります。
学力的な自立
冒頭の女子生徒は、履修主義によって「学校の授業」をペースメーカーにしているため、休校期間に効果的な学習ができていません。
一方で私立の中高一貫校では、「中3の時点で高校の数Ⅲまで終わってる!」という生徒がチラホラいたりします。
この違いは何か?
それは勉強を「教えてもらうもの」と考えるか?
「自ら学ぶもの」と考えるか?
勉強を始める以前の「意識の差」なのです。
9月入学の議論は今後も続くと思われますが、高校生は「学力的に自立」をして「自ら学ぶ姿勢」を身に付けてほしいと思います。
そして、制度の変更に振り回されることなく、最適な学習環境を作れるようになってもらいたいものです。